グアテマラ便り -7ページ目

グアテマラの出国審査で軟禁事件

年末年始に弊社にお申し込みいただいたお客様が、グアテマラ出国審査の際、意味もなく、空港警察官に軟禁され、ワイロを要求されるという事件が発生した。

以下、お客様(Sさん)よりいただいたメールを紹介したい。

2度と同じようなことがないようにグアテマラ出入国管理局へも抗議する。


「嫌な思い」とは、出国の際のpoliciaよる「袖の下」目当ての嫌がらせです。
要約としては、「首都の」「空港で」「軟禁状態で」こういう体験をしたのは
初めてであったということ、そしてそれが、せっかく楽しかった旅の思い出
を台無しにしてくれたということです。

以下、長いですが実況です。

チェックインを済ませ、X線検査を通過し、買物しようとしていた矢先、
制服警官に呼び止められ、やれビザがないだの(本来日本人は不要な
のに)、check-in baggageはないのか(手荷物のリュックひとつなのに)
だの、allスペイン語でイチャモンをつけられました。こちらは、英語の分か
る人間を出せ、と主張し周りにもアピールしたのですが、誰一人助けてく
れず、最終的には階下の別室(誰一人いない部屋)に押し込められ、パス
ポートと搭乗券を取り上げられた挙句、3人の警官に囲まれました。繰り返
しますが、私とその3人以外は誰もいません。そして英語を解する(と表明
する)人間は誰も居ません。
1人がバッグを開け、「一応」荷物検査をするふりをしながら衣類それぞ
れにまでのんびりムニャムニャ言いながら、おもむろに、"moneda"と手を出
します。もともと小銭が欲しいのは分かっていたので、残った十数ケツァル
を見せたものの鼻で笑われ、USD10を出してもバッグを荒らす手を止めず、
モネダ、モネダと繰り返すのみ。さすがに、無人のフロアの事務室で3人の
警官に取り囲まれ、しかもパスポートまで奪われるという軟禁状態にあって
は要求に応えざるを得ません。少しずつ上積みしつつ、最終的にはUSD40
を出しました(その後、何故かUSD20紙幣は「返却していただいた」のです
が)。無事「解放」されてからは、一刻も早くアメリカ合衆国に近い部分、す
なわち、UAのゲートにたどり着くことしか考えられませんでした。なぜならば、
そちらのほうが、少なくとも公民権が守られる場所だと思ったからです。
したがって、最後に買おうと思っていたグアテマラのお土産も買えず、それ
以上に、せっかくの彼の国に対する良いイメージも崩れました。

今までいくつかの国境で、こういったワイロは体験してきました。
しかし、そのすべてが、首都とは遠い陸路の国境であり、全ての外国人に
「適用」されるものであり、したがって半ば公然と要求されるものでありました。
逆に言うと、私一人、首都の国際空港において軟禁状態で恐喝まがいの行為
を受けたのは、初めてです。

私を軟禁・恐喝した木っ端役人の年収が幾らなのかは知りません。
しかし、少なくとも、国の顔である首都空港でそういうことをやるのは賢明で
はないと思料します。一方で、そういうことを公共の声としてアピールできる社会
ではないことも、理解しています。
なので、少なくとも、松本さんに関係した日本人旅行者が、旅の最後にそういう
「淋しい」体験をしなくて済むよう、アドバイスをしてあげてください。
よろしくお願いします。

グアテマラ・シティ創立230年

Guatemala City ブログランキング

今年、グアテマラ・シティがグアテマラの首都として遷都されて、230年になる。

1773年7月29日にサンタ・マルタ大地震が、中米を統括する首都アンティグアを襲い、わずか3秒で美しい街が崩壊してしまった。

アンティグアは当時、スペイン植民地時代の1543年より、メキシコの南部チアパス州からパナマまでを統括する総督府が置かれていて、中米の一大都市だった。

そして地震の後、地震の被害の少ない候補地として、現在のグアテマラ・シティがあるエルミータ盆地が選ばれ、1776年1月2日に遷都した。

かってはZONA1の旧市街の辺りだけであったのが、現在はZONA21まで有する一大都市になった。中米で一番人口の多い都市だ。写真のように高層ビルが立ち並び、政治、経済、文化の中心地となっている。(写真はGUATE360より)

グアテマラ・シティは犯罪率も一番高いので、気を引き締めて行動する必要がある。

空港に到着されたら、首都よりも比較的治安が安全なアンティグアにまっすぐ向かう方が賢明だろう。

熱帯南アメリカ原産ホウガンボク

ホウガンボク ホウガンボク大木

大木に直径20cm大の大砲の丸い弾丸によく似た果実がなるホウガンボク。

英語名ではCannon Ball Tree(キャノン・ボール・ツリー)。

写真は、ホンジュラス領の世界遺産に指定されいるコパン遺跡近くのホテル・マリーナ・コパンの中庭で撮影したホウガンボクの大木。

熱帯南アメリカ原産で、地面に近い木の幹の周囲から直接長い花弁が出て、その先に球状の実がごろごろぶら下がる様子はおもしろい。

おいしそうに見える果実は熟すと悪臭がして食用にならないそうですが、木の材は家畜の皮膚病を治すのに使われるそう。

ここ中米にはたくさんのかわった植物に出会え、自然マニアにはたまらない。

ブログランキング

今年もよろしくお願いします。

アリス ブログランキング

謹賀新年

昨年は大変お世話になりました。

今年も何卒よろしくお願いします。

今年こそはよい年になりますように。。。

(写真は我が家のスプリンガースパニエルのアリス。犬年を代表して登場)

グアテマラの年の越し方

グアテマラではなぜか爆竹と花火で年を越す。

1月1日の0時になると、いっせいに街中、爆竹と花火が鳴り響き、さながら銃撃戦のような様相。

クリスマス・イブも25日の0時になると、いっせいに爆竹と花火の嵐。

20分から30分は爆竹と花火で耳を塞ぎたくなるほど、街中が騒然となる。

どこかで銃撃があっても、この騒音では紛れてしまうだろう。

実際、花火や爆竹のどさくさで、銃激戦があったと聞く。

その花火で、クリスマス・イブの日に悲惨な事件が起きた。

まだ火が消えていないロケット花火がある家屋に燃え移り、眠っていた子供たち4人を含む6人が全焼して亡くなってしまった。

爆竹は中国人がもたらした産物のようだ。

一家全焼事件以来、政府はロケット花火の売買は禁止しているが、今晩も我が家の屋上にたくさんロケット花火のカスが落ちてくると思う。

変な習慣を伝承していて、困ったもんだ。

サン・バルトろ遺跡の壁画発見

サンバルトロ遺跡壁画

最近、アメリカのワシントンの大学と博物館の共同発掘で、メキシコとの国境に近いペテン県にてマヤ前古典期(紀元前1,500年から紀元250年)の時期のマヤ遺跡ではもっとも古い壁画が見つかり、話題を呼んでいる。長さ9m、高さ1mで、マヤ最古の壁画(紀元前150年)とされている。

写真は当地新聞のプレンサ・リブレ紙の一面に掲載されたマヤの創造神とも言われているサン・バルトロの壁画。

マヤ遺跡といえばティカル遺跡がグアテマラを代表する遺跡として最も有名だが、隠れた遺跡はペテンのジャングルにたくさん眠っている。ピエドラス・ネグラス遺跡、エル・ミラドール遺跡、セイバル遺跡、ヤシャ遺跡、アグアテカ遺跡、カンクエン遺跡などなど。マヤの遺跡見学を制覇しようと思ったら、1ケ月かけても足りないぐらいだ。

奥が深いマヤ遺跡、これからもたくさんの発掘調査が待たれるところだ。ただ、残念なことにグアテマラではマヤ遺跡発掘や修復にかける予算がなく、発掘などはほとんどが外国の援助や大学や博物館などの調査団に委ねられている。

日本からはコパン遺跡を長年フィールド調査をされてきた中村誠一考古学者が、今年、国際交流基金の事業で、ティカル遺跡とキリグア遺跡の発掘・修復監督を行っている。

詳細は中村先生の以下のHPを参照ください。

http://www32.ocn.ne.jp/~maya_copan/index.html

(写真は12月14日付プレンサ・リブレ紙1面より)

お葬式そしてクリスマス

大好きなおばあちゃんが12月6日に亡くなり、急遽日本へ一時帰国した。

悲報を聞いてその日の夜の飛行機に乗ったが、グアテマラと日本はアメリカでの乗り換えがよくなく、どうしてもアメリカで1泊しなければならず、おまけに日付変更線を超える為、火曜日に出発しても日本到着は木曜日到着という2日がかりの行程だ。

どんなに急いでも、すぐに飛んで行けないもどかしさがあり、あちこちの飛行場や駅の係員にやつあたりしてしまった。「どうしてそんなに便が悪いの!」と。

日本には12月8日の木曜日の夜10時に祖母の済む信濃大町(長野県)に到着。

結局、お通夜にもお葬式にも間に合わず、改めてグアテマラと日本の遠さをつくづくと感じた。

到着して直ぐ、おばあちゃんのお骨の前で号泣してしまった。

95歳で未だに元気に畑仕事に勤しんでいた祖母の急な死に信じられない気持ちで一杯だ。

今年は叔父2人も突然亡くし、これで最愛の人が3人急死したことになる。

つらく悲しい一年となった。

こちらに戻ってきて、溜まっていた見積もりや手配などの仕事をこなす。

ブログもなんだか気力が抜けて書く気にならず、今日までに至った。

今日はクリスマス。キリスト教徒の多いグアテマラでは、クリスマスを家族とともに過ごす。

日本ではクリスマスは恋人と過ごすことが定番となっているが、ここは家族水入らずでタマーレスと呼ばれる名物料理を食べながら過ごす。

私はクリスマスを祝う気にもなれず、黙々とコンピューターに向かって仕事をこなしている。

第8回そろばん大会

そろばん大会審査員一同

先週の土曜日にそろばん大会に審査員として参加した。

以前、ブログでも書いたが、グアテマラでは算数教育に役立つと日本のそろばんが人気だ。

グアテマラにそろばんを伝えたのは、写真中央のキラ女史。夫が文部科学省留学生として日本に留学していた際、キラさんもそろばんを習得し、母国でそろばん塾を開いている。キラさんは日本人より遠慮深く、まわりに気を遣う方で、日本の文化にも造詣が深い。着物も自分で着付けしたそうだ。

自分の家の壁もほとんど日本の風景を自分で描いている。そして日本の扇子やそろばん、人形、刀、着物、浴衣などコレクションの多さは目を見張る。

そして、日本でキラさんにそろばんを教えたのが、写真右から2番目の石戸先生。今でもキラさんのグアテマラでのそろばん教育にアドバイスをしたり、援助を行なっている。

今年の第8回そろばん大会には石戸先生のお友達、総勢4名様で遠路遥々グアテマラまで来られ、そろばん大会に審査員として出席された。そろばん大会には現地テレビ局が何社も来て、そろばん大会の様子を撮影したり、インタビューを受けたりした。私へもマイクが。。。「日本のそろばんの歴史を教えてください」の質問に、「うっ!!」と詰まってしまった。日本のそろばんの効用性についてはスペイン語でなんとか話せたが、歴史となると日本語でもわからない。。。

海外にいるほうが日本の文化の大切さを実感する。

アンティグアの夜の光景

カテドラルライトアップ

アンティグアは街全体が世界遺産に指定されていて、夜でもあちこちでライトアップされた教会や大聖堂などの美しい景色が楽しめる。

アンティグアの街は大地震で崩れた廃墟となった教会が史跡として残されており、崩れた教会遺跡をライトアップしたものは、なかなか趣きがある。

写真は中央公園前のカテドラル(大聖堂)のライトアップ風景。

でもこの惜しみも無く使っている電気代は、アンティグア在住の市民からの税金で成り立っている。アンティグアは電気代の税金が他の都市に比べて、かなり高い!

我が家の電気代も毎月Q1,200、お店の電気代はQ800ほどで、合計Q2,000は毎月請求が来る。

日本円で31,500円ほどの高額だ。月の最低賃金が19,000円ほどの国で、この電気代の高さは異常だ。

(写真提供:原さん)

地球サポーター12月からグアテマラ編放映

地球サポーター・ソロラ編

10月末から11月はじめにかけて取材・撮影に来られた「仲村トオル・地球サポーター」のグアテマラ編の放映が、12月9日(金)夜9:54から毎週金曜日、1月27日まで東京TVでオンエアーされる。

12月9日は「グアテマラ概要とハリケーン被害」というテーマで、アティトラン湖周辺では壊滅的な被害を受けた村の様子や、日本政府が援助したある村の飲料水供給施設が、ハリケーン後も唯一の水の供給源として活躍している様子が見られる。

以下、毎週毎の番組の内容を紹介しておこう。

12/16(金)「グアテマラの歴史とインフラ整備」(地方道路整備事業)

12/23(金)「少数民族の生活と伝統文化」(中部高原地域貧困緩和持続的農村開発計画)

12/30(金)「グアテマラの教育事情」(ラ・エスペランサ小学校教育環境改善計画)

1/6(金)「スポーツによる文化交流」(柔道協力隊員のお話)

1/13(金)「地方村落の給水事情」(ヌエバ・エスペランサ地区飲料水供給改善計画)

1/20(金)「女性の自立と職業訓練」(女性職業訓練センター建設計画)

1/27(金)「グアテマラの保健事情」(子どもの健康プロジェクト・JOCV栄養士・波多野隊員)

いずれも日本のODA開発援助が、グアテマラでどのように役立っているかというお話。

興味のある方は是非見てください。

(写真は日本の援助で立てられたソロラ県のエスペランサ小学校の児童生徒達を撮影している様子)