グアテマラ便り -10ページ目

グアテマラの地方は家畜市が盛ん

オリンテペケの家畜市

グアテマラの地方に行くと、毎週何曜日に市が出るか決まっていて、人々はその市の日にあわせて、買い物をする。

第二の都市ケッツァルテナンゴより車で15分のオリンテペケという村では市の日に家畜市もやっていて、豚や羊、牛、鶏、犬や猫まで売られていた。グアテマラ最大の家畜市はサンフランシスコ・エル・アルトの金曜市だが、このオリンテペケの市も活気があった。

豚の歯を調べて、健康状態を確認してから買っていく人、嫌がる豚を無理やり引っ張って家路につく子供、市では人間のどよめきと家畜の荒々しい鳴き声で、カオスの世界を作り出していた。

値段を聞いてみるとこの写真の豚は1匹Q250(約3,700円)とか。現金のない地元の人々は自分の売っているものと物々交換をしていた。

海外に住んでつらいこと。

グアテマラのアンティグアに住んでもう丸8年以上になる。月日がたつのは早いとつくづく感じる。

今まで長期の旅行はしてきたものの、実際、異国の地で長いこと住んでいると、色々な面が見えてくる。良い部分も悪い部分もひっくるめて。

アンティグアからグアテマラ・シティまでは毎日ぎゅうぎゅう詰めのローカルバスで通っていて、何度か強盗やスリにも遭った。一度はバスの中でお金をすられ、盗んだ奴に突っかかっていって、そいつとその仲間と思われる奴のバックを開かせて、自分の財布を捜したこともあった。でも次々に手から手へと渡っていき、どこにもなかった。あとでその事件を皆に話すと身の危険も顧みずに危ないことをしたね。。と口々に言われた。こちらでは物を盗まれたら、抵抗せず、そのまま大人しくあげないと、逆切れされて殺されてしまうという。毎日、新聞で携帯電話を盗られそうになり、抵抗した人が無残に殺されている写真がよく載っている。携帯電話ごときで命を奪われるなんて、たまったものでない。

海外に住んで一番つらいことは、身内に不幸や突然病に倒れても、すぐに駆けつけられないことだ。グアテマラから日本までの直行便はないため、アメリカ経由かメキシコ経由で、乗り継ぎを含めて最低でも2日半はかかる。今年95歳になる祖母と70歳代の両親のことが気がかりだ。幸い祖母も母も元気で現役で働いているが。。。日本にいる家族が皆、元気でいてくれることが何よりの幸せだ。

グアテマラ人の友人マリエラちゃん

Mariela

写真はグアテマラ人のアミーゴ(友達)、マリエラちゃん。在グアテマラ日本大使館の経済協力班の秘書をしている26歳独身。かって6年前にはグアテマラ国立交響楽団の秘書をしていて、その頃からのアミーゴ。

グアテマラ人というと、インディヘナ(先住民)をイメージする人も多いけど、彼女は混血のラディーノ。目鼻立ちがしっかりしていて、キュートでかわいらしい。日本に連れて行っても、もてるだろうな、、というほどルックスよし、器量よし!

そんなマリエラちゃんも結婚に悩んでいる。付き合っている同年代の男性との結婚を考えている。聞けば、グアテマラでは女性は30歳を過ぎたら、「列車に乗り遅れた!」を噂されるそう。列車とは結婚のことだそうで、おもしろい表現だと思った。

独立記念日

独立記念日

9月15日は「独立記念日」。中米連邦の設立された1821年9月15日を記念日としているそう。

独立記念日前日になると、聖火を持って走り出す学生や大人がたくさん道路を占領して、交通渋滞を引き起こす。

どうしてこの時期に走るの?と地元の人に聞くと、聖火を持って走ることは自由の象徴と考えられているらしい。今日は夕方からあいにくの大雨でも走り続けている人が多かったのには驚いた。

地方でも民族衣装を着て、パレードをしたり、ミスコンテストが開かれたりと町中、村中をあげてのお祭り騒ぎ!

写真は今でも男性が民族衣装を着ている珍しい街、ソロラの子供達の行進風景。(ガイドの白石さん撮影)


グアテマラは糖尿病患者だらけ。。

今日のプレンサ・リブレを読んでいたら、「30歳以上のグアテマラ人の10人に4人は糖尿病」と統計が出ていた。ほぼ半数が糖尿病ということになる。

そういえば中年になると、お腹がポコと太鼓腹のように出ているグアテマラ人が多い。警察官でも太っている人が多いので、こんなに太っていると、動きが鈍くて市民を守れないだろうなどと思ってしまう。

若い女性でもお腹でていているのに、平気で腹だしTシャツを着て、自分のお腹をアピールしているのは驚きだ。グアテマラでは太めの女性の方がもてるのかもしれない。

太っている原因は何かと言うと、おそらく「ドゥルセ・ティピコ」というとっても甘いお菓子に代表されるように、グアテマラ人はとにかく甘い物好き。そして朝食と昼食の間に、レファクションという間食を取る習慣がある。私のグアテマラ人の友達にM君がいるが、彼は底なしに食べる。トルティージャを10枚以上はペロリ、日本に行った際もご飯の食べすぎで、行く先々で、日本人を驚かせた。聞けば一日6回は便がでるとか。。.

太りすぎに注意!

グアテマラのローカルバス

GUatemala Bus

グアテマラの庶民の足はなんといってもバス。

アメリカのスクールバスのお下がり(中古)が出回っていて、行き先やバス会社毎にハデな色で塗っている。ここのところの石油の高騰で、バス代も上がり、今までアンティグア-グアテマラ間(45Km)がQ6(約90円)だったのに、今はQ6.5になり、毎日通勤の庶民には痛い出費だ。

2人がけのところを3人でぎゅうぎゅう詰めで座るため、端に座っている人はお尻が半分、座席からはみ出している。カーブの多い山道を走る為、カーブ毎に端に座っている人は、お尻を上手く浮かせて遠心力に抵抗している。

決まったバス停はなく、人がいて手を上げればそこが即席バス停となる。

かわいいボンネットタイプのバスが山道をうんうん言わせながら走る光景が、なんともグアテマラのシンボルといってもいい。

私もこのボンネットバスで8年間、グアテマラ-アンティグア間を毎日通い続けている。

グアテマラのサッカー

GUATEMALA サッカー

グアテマラのW杯予選は現在、メキシコ、アメリカ、コスタリカの次にグアテマラの順で、来年のW杯をかけて熾烈な争いを繰り広げている。(上位3位がW杯行きのチケットを手に入れる)。 

朝日新聞社のスポーツ記者のKさんに、松本眞吾がコーディネーターとして同行し、監督やサッカー協会、グアテマラ新聞記者の方などとインタビューを行った。9月7日にグアテマラで行われたアメリカリーグとの試合は0-0で、手に汗握る観戦であった。グアテマラリーグのマラディアガ監督はホンジュラス人で、第一次予選のホンジュラスとの試合で、母国ホンジュラスを打ち負かし、グアテマラに勝利をもたらした質実剛健な監督。

グアテマラ人は会場でサッカー場で応援するより、バーやレストランの大型テレビで、友達とビールでも飲みながら一緒に一喜一憂しながら観戦するのが、おしゃれとされている。

イエローカード連発のエース、カルロス・ルイス君は、貧しい出の出身だそうで、グアテマラのサッカー選手の多くは、家が貧しいとの裏話も今回の取材で判明。

最終戦まで見逃せないW杯予選 !グアテマラリーグがドイツに行けますように。。。

100年前のカミオネタ(バス)

屋須弘平写真

グアテマラの100年前の移住者、屋須弘平写真家の残した写真は、今から1世紀前のグアテマラやアンティグアの様子を克明に記憶している。30年前の大地震で彼の写真が発見され、当時の様子が蘇ってきた。

この写真は当時のカミオネタ(バス)の様子。ボンネットに肘かけているのは運転手と車掌さんかな、、と想像を膨らませるのも楽しい。


グアテマラ交響楽団

オーケストラのメンバーと一緒に

8月9日、グアテマラ第二の都市ケッツァルテナンゴで、日本人の小松一彦指揮によるグアテマラ国立交響楽団のコンサートが100年もの歴史のある市立劇場で開催されました。

コンサートは開場1時間半前から長い列が出来始め、すぐに800名収容の会場が満席となり、立ち見も出来るほどの盛況ぶりでした。コンサートでは日本人作曲家の曲を2曲、ケッツァルテナンゴの名曲でグアテマラ人が大好きな曲「シェラ(ケッツァルンテナンゴの愛称)の月」、「高原列車」をオーケストラで演奏しました。ダイナミックな小松先生の指揮で、オーケストラも日頃以上の熱演を披露してくれました。

写真はコンサート終了後、宿で素敵な演奏を行ったオーケストラのメンバー達との心温まる一時のスナップ。最近はグアテマラオーケストラにも若い団員が入ってきて、活気に溢れています。

黄色い教会

サン・アンドレス・シェクルの黄色い教会

グアテマラ第二の都市ケッツァルテンナンゴ近郊にアン・アンドレス・シェクルという村がある。

先住民族の住む村で、中央広場にはかわいらしい黄色い教会が建っている。

黄色と白色はキリスト教のカトリックの色。ほとんどの教会が白色で建てられている中、黄色い教会はひときわ目をひく。

教会の正面にはかわいい聖人の像が色とりどりに描かれており、インディヘナ(先住民族)の色彩感を見るようだ。

グアテマラのタバコのコマーシャルの舞台にもなったサン・アンドレス・シェクルの黄色い教会。隠れた見所!